僕自身のこと

 

​僕は言葉の専門家

僕は、言葉の専門家。

 

これは、小学校入学式の日に家の前で撮ったもの。写真の中の僕は、姉とともに学校に行けるのを素直に喜んでいる。今ではもう、その喜びを思い出すことはできない。記憶に残っている初登校日の思い出といえば、休み時間の時報とともに、僕は、ひとりで教室から飛び出し、学校を散歩したということぐらい。そして、上級生の女の子たちに呼び止められ、校庭で遊んでいたクラスメートのところに連れていかれた。

 

僕は、生まれ故郷の海沿いの町が好きだった。今でも、子供の頃ののんびりとした雰囲気を懐かしく思い出す。16歳で母や姉妹とともにその故郷の町を離れて、東京に出て以来、戻る機会は殆どなくなってしまった。そして、その時から、今の僕の人生が始まっている。今は旅の中でその人生を生きている。そんなわけで、アルジェリアやチュニジアで数年間過ごし、地中海を見た時は、地中海が好きになった。子供の頃を思い出させてくれたから。その時から、僕は年を重ねるに連れ、紐に繋がれ回転する玉のように、僕の原点から、つまり、生まれ故郷から離れていく。この年になっても、一向に落ち着きたいとは思わない。依然として、若かりし頃の夢を追い求めている。昨年なくなった父は、故郷に残っていた最後の身内だった。

 

旅立つ人が居て、残る人が居る。旅立つ人に起きる変化は、残る人に起きる変化よりも大きい。旅を始めた当初は、その変化に気がつくことはなかった。なぜなら、僕は、一度で日本を離れたわけではなく、徐々に離れていったから。そして、ある時、自分が変わったことに気がついた。

 

家から出ることは殆どなく、テレビは見ない。ほぼ、家に閉じこもっていると言っても良いと思う。翻訳という職業がそれを可能にしている。そんなわけで日本の状況をよく知らない。あたかも他国に居るかのように。車を運転していると、特に夜中だが、場所の感覚を失い、ここに居ながらにして、よそに居るような感覚を覚えることがある。アビセンナというペルシャの哲学者が書いた一文、たしかこのような文章だったと記憶しているが、「塔に上り、その塔の頂上から周りの景色を眺める時、それは、まるで、過去に訪れたすべての場所の景色を眺めるかのようだ」を聞いた時、僕の感じている感覚はこれだと思った。

 

ただ、今でも、毎朝の目覚めの中で、子供の頃に感じた目覚めの感覚、母の「もう起きなさい」という声を聞きながら、暖かな布団の中でいつまでもぐずぐずしていたいような気分を求め続けている自分がいるのを感じている。

 

文学:

フランス文学をフランス語で読み始めたのは、もう随分前のことになるが、本当に理解することができるようになったのは、ごく最近のことだ。その理由は、フランス語のレベルだけではなく、人生経験の不足もあったと思っている。僕が好きな作家は、マルセル・プルースト、ボードレール、マルグリット・デュラス、ジャック・プレベールなど。過去に経験した困難な状況を乗り越えるのができたのは、これら作家たちの言葉の助けがあったからだと思っている。

 

ヨガ:

僕のヨガ歴はかなり長い。文学は僕に心理学的な救いをもたらしてくれたが、ヨガは身体的なリリーフを与えてくれた。

 

音楽:ジャズ、クラシック、シャンソン、カンツオーネ等。

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